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FGOが10倍楽しくなる! サーヴァント元ネタ紹介 『アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ』

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※画像はWikipediaより

 

 そのキャラの元ネタを知れば絶対好きになる!

 

 実在の名所や、豆知識と共にFate/Grand Orderに登場するキャラのモデルとなった人物を紹介していきます。

 きっとそのサーヴァントがどういう人物だったのか知れば、辛い攻略も周回も楽しくなるはずです!

 

 今回はFate/Grand Order第二部に登場する「アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ」です。

 

 

※この記事は、筆者が本やインターネットを使って独自に調べてまとめたものであり、型月的、学術的に必ずしも正しいとは限りません。暇つぶし程度にお読みください。

 

※この記事の日付は第二部開始前ですが、第二部クリア後に更新してます。

 

 

 

 

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どんな人?

  ロシア帝国最後の皇帝であるニコライ2世の第四皇女。

20世紀最初の年に生まれた、最後のロシア大公女の一人。ロシア正教会の聖人(新致命者(いわゆる殉教者)として)。

 

ロシア革命によって皇族ではなくなったあと、従者を含めた家族もろとも逮捕、監禁、そしてある日突然、虐殺されました。

 

 FGOには、氷の魔術を使う精霊使いのキャスターとして登場します。

しかし、アナスタシア自身には、魔術に関する逸話も、精霊に関する逸話もないので、FGOにおけるエジソンなどと同じように、「ロシアの擬人化」という側面も持ったキャラクターになっています。

 

FGOには、氷の魔術師のイメージ通り、クールな少女として登場しましたが、実際のアナスタシアは「シュヴィブジック(小さな悪魔)」と呼ばれ、「いつもいたずらを考えているお転婆娘」だったそうです。

サーヴァントとして召喚された彼女は、虐殺されたためか人間不信の気があるようですが、セリフなどから元の明るい性格が垣間見えますね。

 

 

 

 

なんで有名なの?

  最後のロシア皇帝の娘であり、家族もろとも虐殺された悲劇のお姫様、としても有名ですが、彼女がロシアの歴史上の人物の中でもトップクラスに有名になったのには他の理由があります。

 

彼女が世界中で有名になったのは、「虐殺されたあとも生き延びていた」という説が出回ったからです。

 

革命によって虐殺されたお姫様が実は生きている、というロマンあふれる噂は、世界中を飛び回り、実際に自分がアナスタシアだと名乗る人まで現れ、世界中のメディアを沸かしました。

 

この話は映画になるほど有名になり、アナスタシアは自分の全く知らないところで有名人となったわけです。 

 

 

 

 

有名なエピソード 

自撮り 

 西暦1900年、アナスタシアの生まれる直前のこの年に、アメリカのコダック社から「ブローニー」というカメラが発売されました。

このカメラは「小学生でも扱える」という単純で簡単なカメラで、1ドルという非常に安価な価格も手伝って、大衆にカメラが一気に広まりました。

 

そんな時代に生まれ、父親も写真好きだったアナスタシアは、どこに行くにもカメラを持ち歩き、写真を撮るのが好きでした。

 

 ある時、写真好きの彼女は、友だちに手紙と一枚の写真を送りました。

写真には、椅子の上でカメラを持つアナスタシアの姿が写っており、手紙には「鏡を見ながら自分を撮ってみたの。手が震えてすごく難しかった」と書かれていました。

 

彼女が友達に送るために撮ったこの「自撮り」写真によって、「おそらくアナスタシアが、世界で初めて「自撮り」をしたティーンエイジャーだろう」と(ニュースサイトでは)言われています。

 

 実はアナスタシアよりも70年ほど前、銀板写真が発明されたばかりのころに「自分を撮った世界初の写真」はすでに撮られているのですが、現在の「自撮り」と同じように友達に見せるのを目的とした「自撮り」は、まさにアナスタシアが先駆けと言えるでしょう。

 

 

 写真好きの彼女が撮った写真は、後にまとめられ、本が出版されています。(日本では絶版になっているようで、英語版よりも高くなっています)

彼女が撮った楽しそうな家族の写真を見ていると、「皇帝の家族でも普通の人なんだな」という親近感が湧くとともに、虐殺の悲惨さが生々しく伝わってきますね。

 

 

イパチェフ館での虐殺

 第一次世界大戦が始まると、貧困や皇帝への不満などから、ロシア革命の一部である「二月革命」が発生します。

この二月革命によって皇帝ニコライ2世は退位。

通常であれば、皇太子であるアレクセイに皇帝の位を譲るところですが、アレクセイは生まれつき「血友病」という病気にかかっていたため、息子の身を案じたニコライ2世は、弟に皇位を譲ります。

しかし、弟はこれを拒否。

皇帝の座は空白となり、300年続いたロマノフ王朝は崩壊。

ロシア帝国は終焉を迎えました。

 

 ロマノフ王朝が崩壊したことにより、 アナスタシアたちロマノフ一家は、皇族ではなくなりました。

ただの一般人となったロマノフ一家は、ロシア革命によって新たに成立した臨時政府に逮捕されます。

そして、何度か移動させられながら、監禁され続けました。

見張りの兵士は、元皇帝であるニコライ2世を「ニコライ・ロマノフ」と呼び捨てにし、私物は当然のように盗まれ、年頃の娘たちには聞くに堪えない言葉が浴びせられました。

ロマノフ一家は協力し合いながら、この辛い監禁生活を耐えていました。

そんな状況でも、アナスタシアの明るさは失われず、芝居やパントマイムで、家族や使用人たちを楽しませていました。

 

 「血友病」の症状が悪化していたアレクセイの状態が少し良くなり、旅ができるようになると、ロマノフ家はまた移動させられます。

「イパチェフ館」と呼ばれるその家は、イパチェフという商人の家でしたが、ロマノフ家を監禁するために無理やり立ち退かされました。

ここでの生活はさらに厳しく、白いペンキで塗り潰された窓は、開ける事も禁止され、食事は黒パンと薄いスープ、そしてほとんど肉の入っていないカツレツと、一般人以下の生活を強いられました。

 

 アナスタシアたちが監禁されているころ、革命軍である「赤軍」と反革命軍である「白軍」の内戦が起きていました。

アナスタシアたちロマノフ家は、 裁判にかけるために赤軍によって監禁されていましたが、白軍によってロマノフ家を監禁しているエカテリンブルグが陥落される恐れがでてきました。

もし、元皇帝であるロマノフ家が白軍の手に渡れば、赤軍にとって不利な状況になるのは明らか。

赤軍側は、なんとしてもロマノフ家を白軍の手に渡らないようにしなければなりませんでした――

 

  その日、ロマノフ一家は11時頃に眠りについた。

一家が寝静まった、真夜中。

一台のトラックが、イパチェフ館に到着した。

このトラックは、エンジン音で銃声を誤魔化し、死体を運ぶために、警護隊長ユロフスキーが用意したものだった。

「白軍が近づいてきているので、すぐに身支度をするように」

ロマノフ一家は、真夜中にそう言われて叩き起こされた。

身支度が済むと、ロマノフ一家は地下室に通された。

迎えが来るまでここで待機、とのことだった。

トラックのエンジンがふかされた。

 

しばらくすると、警護隊長ユロフスキーが現れた。

彼は紙を取り出して、宣告した。

「あなたの親族がソヴィエト・ロシアに攻撃を継続していることを鑑み、ウラル・ソヴィエト執行委員会は、あなたの処刑を決定した」

 聞き取れなかったか、信じられなかったか。

ニコライ2世は、ユロフスキーの方に振り向き、何だって、と聞き返した。

そして、刑が執行された。

 

銃撃が止むと、皇帝夫妻と使用人たちは殺されていた。

しかし、皇帝の子供たちは、なんとまだ生きていた。

平然と私物を盗んでいく兵士たちから守るために、服に縫い付けていた宝石たちが子供たちを守った。

しかし、生き残っていた子供たちも、銃剣で刺されたり、頭を撃たれたりして殺されていった。

ところが、アナスタシアだけは、最後まで生きていた。

愛犬ジェミーを抱えて、息を殺していた。

しかし、執行人に足で転がされた際、声を出してしまい、愛犬もろとも銃床でめった打ちにされ、殺された。(銃剣で刺されたとも)

 

  ロマノフ家の遺体は、隠蔽するためにトラックに乗せられました。

しかし、処分地に向かう途中、ぬかるみにはまって動けなくなります。

そこで、遺体は荷車で運び、廃坑の中に捨てられました。

 

しかし、次の日には、ニコライ2世は処刑されたという噂が流れており、この廃坑の深さでは誰かに発見される恐れがあったため、遺体はまた移動することになりました。

後年、この廃坑から、アナスタシアの愛犬ジェミーの死体が発見されます。

遺体の輸送中、またもトラックがぬかるみで動けなくなります。

疲労していたユロフスキーたちは、トラックが動けなくなった道路の真下に遺体を埋めることに決めました。

遺体は硫酸をかけられ顔の判別ができないようにされたり、骨が黒焦げになるまで焼かれて粉々に砕かれました。

11体の遺体のうち、2体だけ少し離れた場所に埋められ、残りの9体が道路の真下に埋められました。

そして上に枕木が置かれ、トラックで踏んで、ならしました。

 

こうして、ロシア帝国最後の皇帝一家は、革命の名のもとに虐殺され、何も知らない人々に踏まれ続けるという無残な最期を迎える事になりました。

 

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生存説

 ロマノフ家の遺体が隠蔽された後、公式な発表が出されました。

「皇帝は処刑し、妻と子供は安全な場所に連行した」と。

この発表があったこと、死体が発見されていなかったこと、莫大な遺産があったことなどから、「私は生き延びていたアナスタシアだ」と名乗り出る人が続出します。

 

ほとんどが明らかな偽物でしたが、ある時、実際にアナスタシアにあったことがある人物にも「本物だ」と言われる女性が現れます。

その女性は「アンナ・アンダーソン」という人物でした。

この女性は、体にアナスタシアと一致すると思われる傷が多数あり、アナスタシア関係者にしかわからないと思われる質問にも答えました。

しかし、顔が全く違ったり、記憶があいまい、ロシア語が喋れないなど、アナスタシアとは思えない要素も多数あり、熱狂的支持者が多数いる一方で信じていない人もたくさんいました。

この「アンナ・アンダーソン」は本物か、という議論が盛り上がり、「亡くなったはずのアナスタシアを名乗る女性」を題材とした映画が何作か作られたこともあって、アナスタシアは有名になりました。

 世間を騒がせた「アンナ・アンダーソン」は、最後まで本物を主張しながらこの世を去ります。

彼女の死によって、真偽を判別するのは不可能になったかと思われましたが、なんと彼女が手術をした病院に腸の一部が残っており、DNA鑑定が行われることになりました。 

そして、このDNA鑑定によって、驚きの事実が判明します!

 

なんと「アンナ・アンダーソン」の正体は、ロシア人どころか、ポーランド人でした。

ポーランド人の農家の娘だった彼女は、出稼ぎに来ていたドイツの爆弾工場で、爆弾を爆発させる事故を起こします。

同僚は死に、自分もかなりの重傷を負って、精神が不安定なまま病院から失踪します。 

そして、川に身を投げたところを、警察に保護されました。

病院に入れられた彼女に、周りの人は言いました。

もしかして、アナスタシア皇女じゃないか、と。

彼女の体にあった爆弾事故の傷が、虐殺の時に受けた傷のように見えたのです。

その後しばらくして、彼女は言いました。

そうだ、私はアナスタシアだった、と。

そう、「アンナ・アンダーソン」は詐欺師ではなく、周りの人にアナスタシアだと言われたことで「本当に自分はアナスタシアだと思い込んでいた人」だったのです。

 

 1991年、ロシア革命によって 誕生した「ソビエト連邦」が崩壊すると、政府が隠蔽し続けたロマノフ家の埋葬地が公表されます。

実はすでにアマチュア探偵たちに発見されていましたが、その頃はまだソビエト政権下だったため、公表されませんでした。

 

正式に行われた発掘調査によって、道路の下から9体の遺体が発見されました。

イギリス女王エリザベス2世の夫で、ロシア皇室の血を引くエディンバラ公にも協力してもらいDNA鑑定を行った結果、発見された遺体はロマノフ家たちのものだと判明しました。

この時点では2体の遺体が発見されていなかったため、まだアナスタシアが生きている可能性はある!と、アナスタシア生存説が再加熱します。

 

 9体の遺体の発見からしばらく経った2007年、9体の遺体が発見された埋葬地の近くの森から2体の遺体が発見されました。

ニコライ2世が日本に来た際に襲われた「大津事件」の時の血痕付きシャツからDNAが採取され、新たに発見された2体の遺体とのDNA鑑定の結果、2体の遺体は皇太子アレクセイとアナスタシア、もしくは姉のマリア、と判明しました。

ここに90年以上の時を経て、別々に埋められた家族は再会し、アナスタシアを含めた全員の死亡が確認されました。

 

 

 

関係する事柄

ラスプーチン

 その見た目から、怪僧、怪物と呼ばれる自称聖職者。実際の身分は農夫。

映画やマンガなどの創作物に登場すると、なぜか魔術や呪いが使える悪役にされる人。

 

 ロマノフ家とは、皇太子アレクセイの血友病の症状を軽くした(ように見えた)ことから絶大な信頼を得て、かなり仲良くしていました。

アナスタシアも「またあなたに会いたい」といった内容の手紙を書いています。

 

しかし、あまりにも皇帝一家と仲良くなりすぎたため、政治にも口を出せるようになり、 宮殿の中のすべての女性に手を出し、アナスタシアたち大公女も襲ったという噂まで広まって反感を買うようなります。

 

第一次世界大戦が始まると、前線に立つニコライ2世の代わりにアレクサンドラ皇后とラスプーチンが政治を行っていましたが、アレクサンドラ皇后が敵国ドイツ出身だったことや気に入らない人物を罷免したことなどから「アレクサンドラとラスプーチンはドイツのスパイだ!」と反感が高まり、ロマノフ家への信頼を回復する目的で、ラスプーチンは暗殺されました。

 

 

青酸カリを盛っても死なず、拳銃で撃たれても、殴られてもまだ生きており、凍った川に捨てられて、やっと「溺死」するという、「怪僧」と呼ばれた彼らしい壮絶な最期でした。

 

 

疾走・精霊眼球(ヴィイ・ヴィイ・ヴィイ)

 ウサギみたいなシルエットの怪物を召喚するアナスタシアの宝具。(実際はウサ耳じゃなくて、まぶた)

 

「ヴィイ」とは、ロシアの文豪ゴーゴリの小説に登場する怪物のことです。

 

 神学生のホマーは、夏休み中の真夜中、泊めてもらおうとした家の老婆に襲われます。

実はこの老婆は魔女で、ホマーは呪文を唱えてなんとか撃退しますが、倒した老婆を見てみると、いつの間にか美女の姿に変わっていました。

ホマーは学校に逃げ帰りますが、そこへある依頼が来ます。

それは死んだ娘のために祈りを捧げて欲しいというものでした。

依頼の通りホマーが棺の前で祈りを捧げていると、死体が急に起き上がりました。

その姿は、美女の姿に変わったあの魔女でした。

魔女はホマーを襲おうと彼に迫りますが、ホマーは地面に環を描き、呪文を唱えます。

すると、魔女の視界からホマーは消え、環の中に入る事も出来ず、ホマーは助かりました。

次の晩、魔女は魔物を連れてホマーを襲いますが、環のおかげでまた助かりました。

そして最後の晩、魔女は魔物たちに命令を出します。

「ヴィイを連れてこい!」

重い足音とともに、魔物に連れてこられたその怪物は、地面に着きそうなほどのとても長いまぶたを持っていました。

ヴィイと呼ばれたその怪物はホマーの前に立つと、魔物たちに、まぶたを開けてくれ、と言いました。

あまりに重いまぶたなので、自分で開けることができませんでした。

ホマーは恐怖のあまり、ただ見ていました。

そして、魔物たちがヴィイのまぶたを開けると、ホマーと目が合いました。

「そこにいるぞ!」

ヴィイは環の中にいるホマーを見破り、指を差しました。

ホマーは魔物たちに一斉に襲われ、恐怖のあまり死んでしまいました。

 

 ゴーゴリはこの話を「民間に伝承されているものをそのまま書いた」と小説の中で書いていましたが、実際には似たような伝承を合わせた創作のようです。

 

FGOでは、ロマノフ王朝が密かに保有していた使い魔。ということになっています。

「小さな悪魔」と呼ばれたアナスタシアは、死の直前に皇帝の使い魔であるヴィイと契約する資格を得ました。

 

 原作では特に攻撃能力の無いヴィイですが、FGOでは「ヴィイ」の元になった伝承の一つである「見ただけで町を灰にする怪物」の能力も受け継いでいるようで、ビームが撃てるようになっています。

 

 ちなみに「ヴィイ」は、ソ連時代に映画化されており、一部の映画好きに人気なようです。

 

 

 皇帝(ツァーリ)

 異聞帯でのロシアを治めている皇帝。

第二部序章からアナスタシアたちのセリフなどで存在がほのめかされていました。

第二部まで到達していない人にとってはネタバレになるかもしれないので、名前は出さないでおきます。

 

 ちなみにツァーリとは、ロシア皇帝の称号のことで、語源はあの「ガイユス・ユリウス・カエサル」から来ているローマ皇帝の称号「カエサル」です。

 

 

 

殺戮猟兵(オプリチニキ)

  アナスタシアたちに率いられてカルデアを襲った黒ずくめの人たち。

 

オプリチニキは、あのイヴァン雷帝の親衛隊として有名です。

 

皇帝が直接管理する直轄領を治めるために、皇帝が選抜し、中には身分の低い人や外国人などもいました。

いわゆる秘密警察でしたが、黒い服を着て黒い馬に乗り、「犬のように噛み付いて、邪魔者を掃討する」という意味の犬の頭と箒をシンボルとし、虐殺や強姦などの悪逆を尽くしました。

 

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アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ紀行

 エルミタージュ美術館

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 世界三大美術館のひとつ。

 

ロシア革命でロシア帝国が無くなるまで首都だった「サンクトペテルブルク」にあり、世界遺産のひとつです。

 

 現在では世界的に有名な美術館ですが、ロシア帝国が無くなるまでは、ロシア皇帝の宮殿でした。

 

「冬宮殿」と呼ばれ、夏以外の時期はここで皇帝が仕事をしていました。

 

もちろん、皇族であるアナスタシアも、ここで生活していました。

 

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歴代皇帝が座っていた「大玉座の間」

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玉座の上にはロシアの守護聖人である「聖ゲオルギウス」が彫られています


 宮殿の名に恥じないその豪華さから、ロマノフ王朝の栄華を肌で感じることができます。

この豪華な宮殿から、いきなり監禁生活を強いられたアナスタシアは、さぞかし辛かったことでしょう。

 

 このアナスタシアの生活の場であった美術館には、現在でもバレエなどが上演される「エルミタージュ劇場」や現在は新館として使われている「旧参謀本部」などを含めた膨大な敷地に、ラファエロやモネ、ゴッホやセザンヌ、また有名な作品ではありませんが、ミケランジェロの未完成作品等々の名だたる巨匠の作品が所狭しと飾られています。

そしてなによりも、世界でも数えるほどしかない、あのレオナルド・ダ・ヴィンチの真作が二点も展示されています。

 

 もしロシアを訪れることがあれば、平和だった頃のアナスタシアに思いを馳せながら、ダ・ヴィンチの作品を鑑賞しに、是非とも訪れて欲しい場所です。

 

 

 

血の上の教会

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※画像はWikipediaより

 アナスタシアたちが監禁されたのちに虐殺された「イパチェフ館」の跡地に建つ教会。エカテリンブルクという街にあります。

「イパチェフ館」はソビエト政権下で撤去されてしまったため、2003年に作られた、比較的新しい教会です。

 

ロシアには「血の上の救世主教会」という似た名前の有名な教会がありますが、そちらとは別物です。

 

今でもロマノフ家の祈祷をする人が多く訪れ、近くにはロマノフ家の博物館があるので、エカテリンブルクの中でも人気の観光地の一つとなっています。

 

 

 

 

ペトロパヴロフスキー大聖堂 

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 こちらもロシア第二の都市、サンクトペテルブルクにある大聖堂。

 

ロシア帝国最初の皇帝であるピョートル大帝によって作られた「ペトロパヴロフスク要塞」の中にあります。

 

ピョートル大帝からの歴代の皇帝が埋葬されており、森の中から発掘され、列聖されて聖人となったロマノフ家の人たちも、ここで眠っています。

 

いたずら好きで、いつも明るかったアナスタシア。

ある日突然、一般人にされ、ある日突然、監禁され、ある日突然、虐殺された彼女のことを思って、お参りされてみてはいかがでしょうか?

 

 

 

 

めちゃくちゃどうでもいい豆知識

 第一次世界大戦直前の時代を舞台とし、実在の人物をモデルにしたキャラクターが登場する、オカルトや神話、SFなどの要素を織り交ぜたストーリーで今なお人気の高い純正統派超大作RPG(自称)「シャドウハーツ」

 

その「シャドウハーツ」の続編である「シャドウハーツII」に、アナスタシアが登場します。

この作品の世界でも趣味は写真(盗撮)で、撮影したモンスターを召喚したりして戦います。

 

殺される直前ではなく、14歳の時点のアナスタシアなので、まだ幼さ残るロリっ娘のような見た目です。

 

 前作「シャドウハーツ」のバッドエンディング後のストーリーなので、「シャドウハーツ」をクリアしてからのプレイをオススメします。

 

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